山上徹也の壮絶な生い立ちとは? これまでの経歴・生年月日など事件後の現在は?

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元総理大臣銃撃から映画化・ニュースなど注目されている山上徹也容疑者はどのような家庭に生まれどんな環境で暮らしてきたのでしょうか。

元総理大臣銃撃から山上徹也容疑者が犯行に及ぶまでとその後の時系列・生年月日等をまとめました。

目次

山上徹也の出生

山上徹也プロフィール

名前:山上徹也
出身地;奈良
生年月日:1980年9月
年齢:41歳(2022年事件当時)
血液型:不明
身長:不明

1980年、山上徹也容疑者は三重県で生活する父と母の間に次男として生まれます。

年の近い兄と妹がおり、家族5人で暮らしていました。

しかしこの生活が続いたのは山上徹也容疑者が5歳の時までです。

山上徹也の父親の死

山上徹也容疑者が5歳の時、父親は自殺をしました。

山上徹也容疑者の母親は統一教会を進行する前、実践倫理宏正会という団体(別名:朝起き会)に所属していました。

それが理由でノイローゼ状態になった父は自ら命を絶ったといいます。

母は統一教会を信仰する以前に、実践倫理宏正会という団体の活動に入れ込み、その傾倒が理由でノイローゼ状態になった父は自ら命を絶った。

デイリー新潮

山上徹也容疑者の母親は夫を亡くしたことで子供を連れて実家に戻ります。

実家は奈良市平松市にあり、祖父が1人で生活をしていました。

山上徹也の生い立ち、経歴を時系列でまとめ

生まれ~家族崩壊まで:中学はバスケ部、母親が統一教会へ献金

小学校のアルバム(文集オンライン)

山上徹也の生い立ち「生まれ〜中学2年」

1980年9月、山上は奈良市内で次男として生まれる。

1987年4月、地元の小学校に入学。

1993年4月、地元の中学校に入学。バスケットボール部に所属。3年でレギュラーに。「勉強ができる優等生」「努力家」と友人。ブルーハーツが好き

1994年、中学二年の時に、母の統一教会への巨額献金が山上家に知れ渡る。

 

山上徹也が14歳の時(九四年)、家族は破綻を迎えました。

中学校のアルバム(文集オンライン)

【高校入学~自死未遂まで】有名進学校卒業後、ベンジンを大量摂取

山上徹也の生年月日は1989年9月○日!生い立ち・経歴を時系列でまとめ!
応援団の山上徹也
高校入学から

1996年4月、郡山高校に入学。偏差値70の進学校応援団に入部。「彼はとにかく大人しく、物静かな子だったけど、話しかければ笑顔で返してくれた。いつもひとりで、友達がいるイメージがあまりない。そんなだから、応援団に入ったのは結構意外やった。」(友達)

1996年7月、母親が統一教会に献金するために、自宅を売却して、一家は揉めに揉めました。

 

高校卒業後〜

1999年4月、公務員試験合格のための専門学校に入学。伯父に資金援助を受ける。その後中退

2002年8月、海上自衛隊の佐世保教育隊に入隊する。同12月、呉海上自衛隊基地で実習部隊に配属。「入隊後、彼は船の実習部隊で上司とトラブルになり、上の学校に進めなかったのです。」

この頃から山上徹也は、自衛隊内でのトラブルが多発し、やがて孤立し、遂にベンジン50ミリリットルとアルコールを飲み干し、自ら命を絶とうとしました。

2005年2月14日。自ら命を絶ったが、結局、混沌とする意識の中で自ら救急車を呼んで、一命を取り留めました。

退院後~再就職

2005年8月、任期満了に伴い海上自衛隊を退職すると、翌月から測量会社でアルバイト

2007年7月、さらに測量士補の資格を取得、同年十月には宅地建物取引士を取得。

2008年3月、ファイナンシャルプランナー(二級)を取得した。

2020年10月16日、奈良県内の派遣会社に登録し、京都府内の工場で働き始める。履歴書の趣味欄には「映画鑑賞、読書、PCゲームなど」とあった。

職場での山上徹也は、囲りが感心するほど黙々と勤務をこなしました。

週五日、勤務時間は朝八時から夕方五時まで。ポロシャツに作業ズボン姿でバイクや黒色の軽自動車で出勤。

無駄口を叩かずプライベートを明かすことはありませんでしたが、翌年2021年の春勤務態度に異変が起きました。

それは2021年9月12日一本の動画がきっかけでした。

山上徹也の生年月日は1989年9月○日!生い立ち・経歴を時系列でまとめ!
週刊ポストセブン2022.7.15

統一教会系の「天宙平和連合(UPF)」の集会のビデオメッセージに出演する安倍元総理です。

安倍元総理が、統一教会と関係していたことが分かって、統一教会への恨みが、安倍元総理へと向かいました。

事件後の取り調べに対し、山上徹也は

山上徹也

「当初は世界平和統一家庭連合(統一教会)の韓鶴子総裁を狙ったが、新型コロナウイルス禍で来日しないので安倍元首相に狙いをかえた」

13日に警察から出てきた、山上徹也容疑者の事件動機に関する供述だ。

と、統一教会への恨みから安倍元総理へと怒りの矛先が変わっていったことを告白しました。

山上徹也は統一教会の恨んでいたが、安倍元総理を恨んでいたわけではなかったとのことでした

 

その後、警察の取り調べで、「仕事を辞めて、所持金が尽きた。死ぬ前にやろうと決心した」の供述もありました。

 

1ヵ月前から無職になり生活苦も事件の要因ではないかとみられています。

 

取り調べで事件1ヵ月前の6月上旬、大阪府内の派遣会社を自己都合で退職していたことが分かりました。

「韓鶴子総裁」とは?

「韓鶴子総裁」

現在の統一教会の総裁の名前です。昨日から今日の日本の地上波ワイドショーでも多く報じられています。

【事件への系譜】

2021年10月、仕事場で作業場の手順を守らなくなり、十月頃には従業員とトラブルを抱えるようになってくる。

2022年4月、奈良市内の自宅マンションで自作の銃を完成させた。

2022年1月、殺意による高揚感は、おのずと職場との軋轢を生んむ。絶えない職場でのトラブル

2022年4月、無断欠勤が増え、ついには「5月で退職したい」と。

そして、運命の2022年7月8日、事件が起こった。

2022年7月8日事件当日

午前10時10分、大和西大寺駅で佐藤啓参院議員が演説開始。

午前10時17分、安倍元総理が到着。

午前10時31分、山上徹也が素早く、安倍元総理の背後に駆け寄り発砲。

山上徹也は、その場でSPらに押さえ込まれ、現行犯逮捕されました。

逮捕後山上徹也は、母親と統一教会のつながり、統一教会への恨み、銃の製造など、事件の背景を少しず供述しはじめました。

 

事件後の山上徹也容疑者の現在


TBSNEWSDIG

「母親が旧統一教会にはまり、多額の献金をして破産した」


「教会を恨んでいて、安倍元総理は教会と繋がりがあると思い狙った」

 

こうした動機に論理的飛躍もあることから、刑事責任能力の有無を調べるため2022年11月29日までの期限で大阪拘置所で鑑定留置が行われています。

 

山上容疑者は弁護士以外とは接見禁止ですが、伯父によると、全国から洋服や食料品などの差し入れが届いていて、伯父に「差し入れを預かってほしい」と話しているということです。

 

一方、教団の関係者らによりますと、山上容疑者の母親は、事件直後は「安倍さんや昭恵さんに謝罪の言葉が見つからない」などと話し、会見を開く意向を示していましたが、現時点でそうした予定はないということです。

 

 

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